ファームキトラの歴史

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明治27年にファームキトラ誕生
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かつて兵庫県淡路島三原郡松帆村のわずかばかりの小作地にて貧乏な百姓をしていた曾祖父  記虎弥蔵が一念発起して海を渡り一家6人で北海道の土を踏んだのは明治27年3月のことでした。 当時は湿地や原始林のこの長沼の地に掘立小屋を建て、開拓開墾し、度重なる水害や冷害と戦ってきました。  入植時、3歳だった祖父 一次郎はその跡を継ぎ、無学文盲の父親の望みで学校へ通わせてくれました。 その後就農の傍ら納屋の建築や唐箕、風力製粉機、紡毛機等を作り地域に貢献する器用な人でありました。  その息子である私の父 敏雄も戦争でノモンハンで戦った時代もありましたが、復員後は母と共に農業を志 すことになりました。 農作業の傍ら木工作、鉄工作に興味を持ち、兄弟と自作のトラクターを作るほどでした(写真)。母も養鶏を始め 大量の鶏糞が有機農業の一助となりました。  そして、大学在学中の20歳の時に訳あって急に跡を継ぐことになった私ですが、曾祖父のような苦労も体験 せず、祖父や父ほど器用でもなく、傍目には甚だ頼りないものでした。

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着実に規模を拡大
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跡を継いだ当時は農業の事は右も左も解らず、ただ父親に言われるままに仕事をしていました。当時は水稲 小麦、豆、ビートなどしか作っておらず 暇なときには一緒に小屋を基礎から作ったりしました。その後結婚してからは玉葱など高収益作物に取り組み 始め、自ら営農計画を立てるようになりました。 後継した時は全部で9haほどだった土地も今では借地を含め45haを作付しています。また、アイガモ米や苺狩 り観光農園、野菜直売所の運営など新たな取り組みも始め、平成17年には法人化し、だんだんと経営者として の立場で営農に取り組むようになってきました。

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山あり谷あり
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 しかし、現在に至る道のりは決して順風満帆だったというわけではありません。40代には腰を痛め、何か月も 農作業に携われなかった時期もありました。 また、初めて作った苺は技術不足のため収穫皆無だったり、畑に行ってみたらほとんどの玉葱が害虫で駄目に なっていて廃耕せざるをえなかったり、玉葱の育苗ハウスが雪で潰されたり、愛情を込めて育て上げたアイガモ が一夜にしてキツネに何羽もやられたりと失敗は数え上げたらきりがありません。  それでも、1998年ころから始めた特別栽培や無農薬米のお米の販売はインターネットの時勢に乗って今や 経営の大黒柱となるまでに成長するに至りました。 3人の息子達も大きくなり揃って大学に通い始めた頃は資金繰りが大変でしたが、ようやくそれぞれ成人し、 後継者も一緒に働くようになってやっと余裕をもって仕事に勤しむ事が出来るようになってきました。

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今後について
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 WTOやTPPなど農業分野においてもグローバル化は避けて通れない時代がやってきました。おそらくご先祖が 全く予想もしなかった時代です。 農業後継者不足は間違いなく大規模化をもたらし、海外との競争力の差は縮む傾向にあります。  また、昔はほとんどいなかったアレルギーに悩む人も増え、北海道でも美味しい米の品種が開発されたりと、 消費者が自ら望む安全な美味しい農産物を直接農家から購入出来る時代になりました。 こういった流通の変化の流れは今後ますます早まるのではないでしょうか。  目まぐるしく変わる農業情勢の中、今後どう舵を切っていくか手腕の問われるところでありますが、 先にも書きましたとおり先祖代々築いてきた礎があってこそ今の自分があるわけです。 その想いを絶やす事無く、地域や顧客の皆様に末永く愛される農場に成長するにはまだまだ日々苦労を重ね ていく必要があると感じています。 目指す道のりは山あり谷あり。因みに私の座右の銘は「前人未踏の地を目指す」です。 私が後継者に全面的にバトンタッチするのもそう遠くない年齢となりましたが、北海道に入植した当時の フロンティアスピリッツの灯は絶やさないで欲しいと切に願うものです。

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ファームキトラの経営理念
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1 農業振興を通じて地域の活性化につながる事業を行います。
2 顧客第一主義とし生産者と共に幸せを追求します。 
3 安全安心で美味しい農産物をお客様にお届けします。
4 新しい農業価値を創造し、次代を担う人材を育てます。

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